→2006年
二年連続で「クイックシルバー」よりシグネイチャモデル4デザインを発表。
デザインを杉ちゃんが担当。

しんじがTOYOTA BIG AIRに初出場を果たす。
しんじ三年連続、あつし一年ぶりにSlopeStyleに出場。
あつしが日本人予選一位通過、本選で二位と実力発揮する。
→2005年
「クイックシルバー」よりしんじ・あつしのシグネイチャモデルを発表。
デザインワークを杉ちゃんが担当する。
さとし「極道神風蹴」よりシグネイチャモデル発表。

一年の沈黙を破り、シグネイチャDVD『sora』をリリース。
DVDボーナスで『sora豆』を企画・収録。
若手の活動をバックUPする投稿企画で、新たな試みをスタート。

渋谷・SIMOONで『sora』リリースパーティー開催。

さとしが「SWUT」としての活動をスタート。同時にSCLOVERを卒業する。

ガールズライダーをフューチャーした『ガールズテクニシャン』をリリース。

マナブ・杉ちゃんで「雑誌snowboarder」付録DVDの編集を担当。
マナブがQSJ販促用DVDの撮影・編集を担当。

しんじ、二年連続でSlopeStyleに出場。
あつしが三年連続で日産 X−Trail JAMに出場。
→2004年
さとしがボードスポンサー・「極道神風蹴」に移籍、シグネイチャモデルを発表。
自らデザインしたRSウェアを引継ぎ、「S−WEAR」をスタート。
「ラスターツ」より2年連続でシグネイチャモデルを発表。
新潟県塩沢町にBar「脳天キック」をオープン。
あつしがボードスポンサー・「NITRO」に移籍。

スポンサー移籍にともない、西知彦がチームと別離。

「テクニシャン3」をリリース。

ルーデンス湯沢スキー場でゲレンデ清掃を行う。

ゲレンデ直行バスに車内用HOWTOビデオを配布。スキーヤー・ボーダーに技術・マナーを提案する。

あつしが二年連続で日産 X−Trail JAMに出場。
しんじ・あつし、SlopeStyleに出場。
→2003年
SBJで西知彦がチームに合流。
さとしがウェア、ブーツスポンサーを移籍。「ロシニョール」よりシグネイチャモデルを発表。
「ラスターツ」よりシグネイチャモデルを発表。
しんじ・あつしがウェアスポンサー・「クイックシルバー」に移籍。
しんじ・あつしでクイックシルバーJIBサーカスを企画、提案。

『PreciousFile』をリリース。

『テクニシャン2』をリリース。

SNOVA溝の口で『PreciousFile』のリリースパーティを行う。

norn水上スキー場と裏磐梯スキー場でゲレンデ清掃を行う。
地元のSHOPと共同でゲレンデ清掃を行い、環境に対しての新しいムーブメントを起す。

あつしが日産 X−Trail JAMに初出場。
→2002年
ロシニョールからJAPANモデル2デザインを発表。SCLOVER全員がボードのグラフィックに描かれる。
これは日本人ライダーとしては異例のことでサポートメーカーとの信頼関係から派生したSCLOVERならではの功績といえる。
同時に2年連続して「Digital」からもシグネイチャモデル2モデルを発表。

石打丸山スキー場でSCLOVERパークを手掛ける。
トランスワールドJPN誌で02-03ベストパークゲレンデ受賞に貢献。

活動の方向性の違いにより合田京介がチームと別離。
フィルマー・篠崎学(マナブ)が行動を共にするようになる。

チーム初のセルビデオ『Precious.』をNUXよりリリース。
さとしが日産 X−Trail JAMに出場。

シーズン前に杉ちゃんが現役を引退。
東京鋼産株式会社SNOW事業部としてSCLOVERの会社運営がスタート。
2002T

フリースタイルHOWTOビデオ『テクニシャン』をリリース。

ニットブランド『SCORPION HEAD WEAR』をスタート。
→2001年
ウェアスポンサー「Digital」からチームのシグネイチャモデルを発表。
爆発的な人気となったウェアデザインは杉ちゃんがアートワークを手掛けたものであった。

この夏、別チームで活動していた石川敦士(あつし)がチームに合流。
「Digital」から非セールスビデオとして『SCLOVER3 RIDERS』を発表。

ライディングを映像で表現することを目的とした、フィルミング活動が本格化していく。
→2000年
現在のチーム名「SCLOVER3 RIDERS」と改名。
活動は急激に加速していった。
MET当時、蛍光グリーンのヘルメットを被った3人はひときわ異彩を放っていた。
さとしの強気で有言実行を身上とするスタイルは次第にチームカラーとして認知され、
さとしはハーフパイプで、しんじ、杉ちゃんはワンメイクの大会で、常に入賞があたりまえのライディングを見せつけた。
メディアからも常に注目される存在となり、このシーズンの終わりにさとしはプロ資格を取得する。

北海道のロシニョールライダーだった合田京介がチームに合流。

この年はじめてのウェアスポンサー「FJ−GOLD」に対してデザイン提案、採用される。
→1999年

「SCLOVER3 SNOWBOARDERS」とチーム名を変更。
ハミルトンSJというJrチームのコーチをしながら、SCLOVERとしての知名度を上げる事でチームの若い子達に夢を与える立場となっていった。

この年初めてTシャツを製作し、ブランドとしてスタートを切る。
ライダー活動を終えた後、スノーボーダーがデザイン提案するリアルブランドを作り上げるのが
もう1つの目標であった。
→1998年
東京・練馬にあるスノーボードショップ「ハミルトン(HAMILTON)」で若い3人のスノーボーダーは出会った。
島田聡(さとし)18歳、田中暢二(しんじ)20歳、杉元明(杉ちゃん)22歳だった。

最年少のさとしは、中学卒業後プロスノーボーダーになる事を決意、
16歳になってすぐにバイクの免許を取得してジュニアクラスの大会を巡るようになる。
夏場はバイトをしながら、室内ゲレンデでハーフパイプのトレーニングを積み、オリンピックの強化選手に選ばれるほどであった。
冬には屋根付きのフュージョンにボードを括り付け、関越道で沼田のおばあちゃん家に向った。
大会へ行く時は、長距離バスや電車を一人で乗り継ぎ、時にはヒッチハイクまでしてゲレンデを目指した。

さとしは、「車がないとゲレンデに行けない」と感じていた。

ハミルトンで知合った3人は、偶然にも同じバイトをする事になった。
雑誌Fineで紹介された、ものほし竿売りのバイトだった。

冬に向けて貯金する為に必死だった、そんなある日、さとしは「若い奴らをゲレンデまで乗せて行ってあげたい。
手伝ってくれないか?」と、打明けた。
二人は快く引受け、SCLOVER3の原形となるハミルトンSJというチームが結成された。
〜〜A FOOT MARK〜〜
さとしが呼びかけて始まった『SCLOVER3 RIDERS』は確かな足跡を残してきました。
ライディングだけでなくライフスタイルにおいても多大な影響力を残し、
2005年にさとしは別のムーブメントを求めてチームを去りました。

『SCLOVER』はチーム発足のスピリットを確かに受け取り、
今後も若いライダーのバックアップを行っていきます。
現在までに培ってきた経験を活かし、よりスノーボードが楽しめるように・・・。